公竹斎のブログ

新潟市在住、還暦すぎです、清掃パート職、はてなダイアリーと併用しています

構築人類学者かく語りき

朝日新聞2018年3月13日付12版文化・文芸34面より連載コラム松村圭一郎のフィールド手帳「楽しく働く方法考えては?」を載せます。

この10年ほど、エチオピアの首都では決まった宿に泊まる。星がいくつなど無縁の場所だ。荷物を預かってくれるのも理由の一つだが、変化の激しい都会で、この宿の従業員はあまり入れ替わらない。いつも顔なじみがいて落ち着ける。高級ホテルに泊るより、安全という意味でも、よっぽど信頼できる。人間関係こそ安心の鍵だ。
宿では午後の2時と8時にコーヒーのサービスがある。生豆を洗って炭火で煎るところからやるので、時間がかかる。その日は、洗濯係のブズネシ担当だった。彼女は、さっきから豆を煎りながら、ずっと携帯で誰かとおしゃべりしている。日本のカフェで店員が携帯で話していたら私だって怒る。でもここでは、なぜかイライラしない。コーヒーを客にふるまいながら、掃除係も受付の女性も、みな一緒にコーヒーを飲む。これも日本では考えられない。
1階の掃除係のガリラは豪快な性格。「石鹸とトイレットペーパーちょうだい」というと、2個ずつくれる(そんなに使えない!)。いつも鼻歌まじりに楽しそうに床を磨いている。見ると耳にはイヤホン。低賃金だが、みんな苦しそうには働いていない。
最近の「働き方」の議論には、労働時間や生産性の話がほとんど。どうしたら楽しく働けるか、なにが働くことを苦痛にしているのか。それも考えた方がいいと思う。(文化人類学者)

ミシマ社 本のご紹介 うしろめたさの人類学中に著者松村圭一郎の紹介が記されている。松村の唱える“構築人類学”を書評で解説しているページも貼っておきます。実をいうとコラムの上にある千葉雅也によるマルクス・ガブリエル「なぜ世界は存在しないのか」の書評について一言と考えていたのだが、ちょっとなかなか難しく手を出せそうにないので八つ当たりみたいに無関係な松村圭一郎にいちゃもんつけよう。なんだよ、日本のカフェでなら店員を叱る場面でエチオピアでなら鷹揚になるって、それってもう無知な土人だと知って嘲っているのを反語的にいっているだけじゃないか。レヴィ・ストロースの昔から人類学者って未開社会の習俗のフィールドワークから作業開始みたいだしだとするとエチオピアおしゃべりメイドや鼻歌掃除人こそ労働の起源かと著者が理解するか、そうでなく構築人類学に沿って現代日本の“労働時間や生産性”を再構築しようとするのか。わたしもなぜ著者がエチオピアでなら腹立たしく思わなかったかには興味がある、そこをぜひ開示してほしいものです。「うしろめたさ」ってでもどんな風に定義するのかってわりと興味ありますね。

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